「生き残り」「生き抜ける」をテーマに、他の業界の歴史を紐解いてみた!③ユニ・チャームの代理店(チャネル)戦略・・・

PIAの働き方改革、というより我が相棒がへなちょこ社長の体力を鑑みて、土日理事会、総会に出ることが多いので、12期目の今年2月から水曜日は休み!!という事にされてしまった。ワーカーホリックのへなちょこ社長だが、仕事量が増えた分体力的にはかなり大変だったので、相棒の言う事を有難く聞くことにした。
二日でて休むというのはなかなか快適で、いつもリフレッシュな気持ちで仕事に取り組める。いいもんだ・・・
で、今日は休みだったので、何だか興にのって来たので、ユニ・チャームの取り組みの歴史を先に紐といてみることにした。その方が、小売りや代理店の変遷を語る時よく解ると思う。
入社時は卸(代理店)担当のルートセールス
入社当時は、まだ小売業も業種として分類するほどもなく、薬局薬店と小売店、化粧品店(日用雑貨店)の分類で、ユニ・チャーム社員が平等に代理店を売り上げ基準くらいでバランスとりながら担当していた。小売店の数は、あいまいだけど20万店っておぼつかない記憶が・・・・・(^-^;
支店の営業会議、月度の代理店別商品別の計画を作成し、係合計、課合計をだし支店合計を伝電卓で集計するというような時代だった。当時活躍していたのが算盤で、電卓使っていたのが新入社員だけって時代。
2,3日の支店会議の前に、月度で計画書作成するのだけど合わない。大体計算間違える人は決まっているので、その人の修正して合計すれば会うって、それなりにやっていた。資料できると青焼きで人数分をコピーし、営業会議で使うって事になる。資料つくりは大体11時前までかかった。何故11時かって?11時になると大阪の合同ビル(今もあるようだ)が閉まってしまうから・・・・
入社6年目くらいに、IBM5500が導入され(記録容量500Mバイト 1台80万円)仕事終わってからマルチプラン(今のExcel)の自習をし、課の全員の販売計画と集計作成10分で完成したのを覚えている。勉強しているお気に支店長にそんなことやっていないで仕事しろって言われた。当時は情報リテラシなんて何もなかった時代です。
他の課が11時までやっている時に、へなちょこ社長の課は7時には飲んでいた。当時から、PCオタクだったへなちょこ社長です。営業で使えたのは一人だけだった。
営業会議は係別の発表になるのだけど、当時は100%達成何て当たり前だったので会議中、運悪く100%未達の係は、うつむいて他の人から集中攻撃。まさに針の筵状態だった。ヘアちょこ社長の係は、幸い優秀な人が係長していたのでそういう経験はなかった。高度経済成長と、優秀な商品発売とユニ・チャームが販路拡大していた時だったので、損害保険業界の自動車保険の増加の時のような状況だった。
退社前は目標が高すぎるのと、飽和市場のマーケットで競争激化の為、100%達成はかなり至難の業だった。
企業ごと、商品ごと、企画ごとの販売計画を作成していた。PCの技量が役に立った。情報リテラシーはいつの時代も無敵なんです。
業種業態別の組織に対応
スーパーの台頭、発展によりこのままじゃだめだなって事になり、
第1段階⇒薬系と雑貨系の業態別の組織になった。薬局薬店を担当するグループと、雑貨系の小売店、化粧品店、スーパーを担当する
代理店のグループに分割。
第2段階⇒量販課と市販課(雑貨系グループ、薬系グループ)の3部門に変更。量販課はスーパーの本部商談が中心で、2,3か月先の
商談を行い、そこを担当する代理店担当と協力して、代理店の商談を行っていた。
第3段階⇒全国展開のスーパーや薬局が出現したため東京にナショナルチェーン部を設置し(全国展開の本部)に一括商談をした。
GMS,SMだけでなくボランタリーチェーンフランチャイズチェーンの本部もナショナルチェーン部で担当するようになった。
その他に各支店でリージョナルチェーン担当、ローカルチェーン担当、と業種業態に地域の量販化で担当するようになった。
へなちょこ社長の営業としての最後の担当は、ユニ―、西友、ファミリーマート、AJD(薬系チェーン),NID(薬系チェーン)などをナショナルチェーン部で担当した。その後、営業企画部にいき、システム部にも一時所属最後は営業企画部で退社した。
世の中の小売業に合わせた、組織を作り、常に先行商談先行納品をし、代理店に滞留在庫にならないように協力した営業活動をしていた。
当時はGMS(ダイエーや、ヨーカ堂等ナショナルチェーン店)が花形企業で、コンビニエンスはまだ1万点にも満たない時代だったが、営業企画部に行ったとき、暇にまかせてコンプーター触っていて気が付いた。単独の企業でユニ・チャームのNO1企業はダイエーやヨーカ堂ではなく、なんとセブンイレブンだった。店舗当たり毎日2,3個の生理用品が売れているのだが、NO1。
この時は衝撃的で、数の論理ってすごいなと。それと大勢人間がかかわり、沢山の販促費を使うダイエーなんかより、単に店に商品を置いてあるだけ、安売りもしないコンビニのセブンイレブンがNO1企業ってちょっと愕然、唖然とした記憶がある。
いまや、チェーン店としてセブンイレブンが街の、インフラとなったのもよくわかる。こういうのは日本だけみたいだけどね。アジアは間違いなく日本と同じようにコンビニが街々のインフラとして根付いていくと確信している。
コンビニにいけば便利!から、コンビニが生活になくてはならない街のインフラとなる。
フランチャイズチェーンが日本の小売業を征服したことになる。地元密着のちっちゃいお店。何でもそろい、いつでもお金や情報が取り出せる。
その対極にあるのが、アマゾン(ヘナちょこ社長もよく使う)なんだろうけど、急にほしいものができた時はアマゾン、インフラはコンビニというような使い方をへなちょこ社長はしている。昨年地元のコンビニが閉店してしまい、スーパーはあるのだが、めっちゃ不便さを感じる。
今、このコンビニのフランチャイズチェーンって組織(企業形態)が最強なんだなと思っている。
ユニ・チャームの代理店(チャネル)戦略
入社当時、ユニ・チャームを扱う代理店は300社くらいあったと思う。スーパーというチェーン店の台頭で、大きく代理店にも変革の時期であった。代理店無用論も出ては消え出ては消えしたが、いまだに無くなってはいない。
【代理店の変遷】
メーカー1社だけ扱う専属代理店
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複数のメーカー商品を扱う総合代理店(ホールセラー)
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全国規模の総合代理店の出現(小売りチェーンの要望:コストダウン)
2000社から500社へ激減。大手は20社くらい、専属代理店はもはや過去のもの
*専属代理店から順に廃業、総合代理店かつ全国展開の代理店が数社生き残った。代表的な会社がPALTAC グループって一部上場で売り上げ約4兆円。大阪の船場からスタートし、M&Aでここまでの会社になった。ま、メーカーと代理店の売り上げは違うといっても、すごいもんだなと感心する。メーカーとしてタンパックスという商品なども扱っていた。メーカー的発想の強い代理店だった。
日用雑貨業界のえらいところは、売り上げが下がっても少なくなっても廃業勧告って事はしなかった。代理店自ら、吸収合併されるか廃業するを判断し代理店社長が決断していた。
【代理店の利益】
①メーカーからの仕入れは当時規模での差別はなかった。同じ製造販売価格。
②粗利:小売店への納入化は卸価 ⇒粗利:売買差益はユニ・チャームの場合大体15%
③数量引き:仕入れにより数量引きなんてのがあったな一度に10tトラック1台分(400ケース)仕入れると2.5%引き
④現金引き:当時は手形決済主流の時で20日〆の翌月5日に現金で払ったら、3.5%引きなんてのがあった。
⑤販売契約:四半期契約で、目標契約し達成した場合約1~5%のリベート(無理な目標契約はしない)
なんてことで大体23%くらいの利益は確定していた。ユニ・チャームはヒット商品が多かったのと、景気・季節に左右されない、安定した売り上げと利益が見込めたので、代理店では最有力メーカーとして位置づけられていた。
*この辺は損害保険業界と正反対。損害保険業界は利益の底がしれないのと、理由なき廃業勧告を平気でする。(社長が60歳以上、今期は売上低下、売り上げ規模が小さい等々)個人事業主の集団と、サラリーマンの集団の差かもしれないなと・・・・(^-^;
【ユニ・チャームのチャネル戦略】
代理店の分類⇒薬系、チェーンストア系、規模、将来伸びそうな代理店、のばしたい代理店をすべての代理店から精査分析。
第1ステップ:100社会を設立、上記の内容で、全国100社の代理店を組織化し重点的に取り組み。
第2ステップ:30社会のレベルアップ、飽和市場を迎えて全国30社を重点代理店として取り組み
勿論パルタックは重点代理店として入っていた。
ここまでで退社してしまった。
*確かな数字ではないが代理店の数はここ30年で2000社から、500社迄激減しているようだ。1/4になってしまった。
大規模かつ全国展開代理店は10社くらい。
*今の損害保険業界はどこもこういう取り組みをしていない。している会社があったらすみません(^-^;
味噌もくそも一緒の同一基準で、売り上げ規模一点の取り組み。全社共通の重点代理店って決めているのかしら?あまり聞いたことないけど。ま、PIAのような零細代理店にはそんな情報は流れてこないんだけどね。それと、PIAを評価するもの差しがないんだよな~~(^-^;
損害保険会社主催の表彰会に、損害保険会社が推奨する代理店にお目にかかったことはない。
ユニ・チャームって会社の営業はルートセールス
ユニ・チャームの営業はルートセールスだ。今の保険会社の営業と同じなんです。代理店、小売店と一体になり、売り上げと利益を共有しどちらかというと、メッセンジャー、情報提供者というより、コンサルタントとして真剣に取り組んだ来た。今後の損害保険業界の営業スタイル、メッセージを伝えるから協働するという方向性では同じではないかなと思う。ユニ・チャームの営業は担当代理店の経営内容、各メーカーの売り上げ、経営者の情報には業界一詳しかった。だから、コンサルができた。
代理店の経営をサポートできる保険会社の営業っているのかな?売り上げさえもあまり聞かれたことがない。売り上げ、利益を公表するなんてのは、変態のへなちょこ社長くらいかな?
小売りに対しては提案型、企画、棚割り、商品構成、売り上げ予測とバイヤーの片腕としてチェーン本部をサポートしていた。
ユニ・チャームって会社を見ていると今後の保険会社のルートセールスの優劣が企業の優劣を決めるの時代が来るのではないかなと思っている。
まとめ
損害保険会社は19万店の代理店を抱えているため、代理店の分類ができ兼ねているんだろうなと思う。数が多いって大変だもんね。
①どの代理店と取り組んでいくのか?
・重点的に取り組んでいく代理店
・規模を拡大する代理店
・商品別の取り組み重点
②基本手数料はいくらなのか?
毎年ポイントが勝手に変化する
減点主義で最低手数料がいくらかわからない経営基盤が不確定
③何を売りたいのか
この辺がはっきり伝えてもらえると、代理店としても腰を据えた取り組みができるのだけど、いきなり手数料が1/4になるなんてことを経験すると、すこ~~し腰が引けてしまう。噂では、廃業勧告されている代理店もあると聞く、PIAもある損害保険会社では廃業勧告予備軍だといわれているしな~(^-^;
損害保険代理店19万社ってとにかく零細で数が多すぎる。それ故のコストアップの構造なんだろうな~~!各損害保険会社が代理店の大型化を推進するといいんだけどね!
イオンはパルタックに伝票一枚で、全国すべての店舗に、日用雑貨の商品を配送陳列が可能。請求書はパルタックに一枚出せばいいだけ。商品の検査は勿論データで済ますけどね。
今回のブログの数字についてはあまり自信がないので、内容についてはそんなものかなってくらいで理解しておいてくださいな。
次こそ小売店の変遷についてひも解いてみよう。思い付きではなく、こういう考えた記事を毎日書くのってすっごく大変(^-^;
by ユニ・チャーム時代の へなちょこ社長
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by鈴木洋二
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