「生き残り」「生き抜ける」をテーマに、他の業界の歴史を紐解いてみた!②日用雑貨業界の変遷・・・・

不確かな記憶をもとに、理解してもらいやすいように書くつもりだけど年寄りの脚色、偏り、思い込みもあるかと思うので、ほんまかいな?という軽い気持ちで読み飛ばしていただけると幸いです。
日用雑貨業界って何?
1967年4月にへなちょこ社長は両親に地元に帰れという事で、神戸から川之江に本社のあったユニ・チャームって会社に入社した。オイルパニックの後であったために、一年先輩は自宅待機なんてこともあったようだ。入社当時は生理用品メーカーが全国区に300社以上存在し、全国ブランドはアンネくらいだったが、後にライオンに吸収された。
ながいあいだ、そんな会社辞めて公務員にでもなったらと言われ続けた。ユニ・チャームが時流に乗りあっという間に二部上場、一部上場すると、親類縁者はみんな見る眼があるね~なんて言ってくれた。会社の選択はほんとに運がよかったと思う。
入社半年で、ハワイへ研修旅行に連れて行ってくれる会社なんて大学のクラスメートにも聞いたがだれもいなかった。
【当時の日用雑貨業界の主なメーカー】
花王、資生堂、ライオン、サンスター、牛乳石鹸、小林製薬、白元、エステー科学、ユニ・チャーム、金鳥、アース製薬等
ライオンが日用雑貨業界のリーディングカンパニーだった
ユニ・チャームの躍進はスーパーとの取り組みと販売方法の革新
生理用品は主に薬局薬店で販売されていたがユニ・チャームは後発であったために、なかなか取り扱ってくれなかった。当時台頭し始めた小売業が、ダイエー、ジャスコ、イトーヨーカドー、西友ニチイとかのセルフ形式の現在のスーパーマーケットへ販売の中心を移しチャレンジした。船井総研指導の下に全国展開、チェーンオペレーションのコストダウン、大量一括仕入れによる原価ダウン、定価販売から自由価格へで隆盛を極めた。
今は当たり前だが、当時としては画期的な出来事であり、研ナオコを使ったCMを生理用品業界で初めてオンエアし、薬局薬店で買うからスーパーで買うって事が当たり前の時代に変わった。
この販売チャネルの変化で、スーパーの隆盛とともにユニ・チャームの業績は増収増益の快進撃を果たした。その間にあっという間に、国内メーカーが300社から10社くらいまで激減し、花王、資生堂、P&G、大王製紙等の超大手企業と単品メーカーの生き残り競争が繰り広げられてきた。本業専業化、紙の分野で生き残りをかけて戦うの高原会長のこだわりと、経営者の運の強さ、真面目な社員達の活躍もあり、今のユニ・チャームがある。
今や6500億円くらいの売り上げなのかな?僕が入社した時代は100億くらいの売り上げだったような気がする。凄いもんだよね~(^-^;
ちなみにライオンは 2000億円⇒4000億円、いかにユニ・チャームがすごい会社かって事がよくわかる。取扱商品の数はライオンの方が多いんだけどね・・・・
へなちょこ社長がユニ・チャームを辞めた理由は決して問題を起こしからではありません。転勤が続く中、平成1年に本社勤務になり横浜に住み始めた時家族にいろいろあり、家族のために働いているのに、家族に迷惑かけるのっておかしいなって思っている時、ソニー生命に声をかけていただき、盛田さんの「保険を変えるSONYが変える!」感性を磨きなさい、飽くなき努力をしなさいなんて言われて
「転勤はありません!」
の一言で転職を決めたんです。
当時の営業企画部の上司だったM常務に言うと、引き留められるのかと思ったら「お前いい選択するな!」って言われた。ひょっとしたらいらない人材だったのかもしれないと、思って数年に一回お会いするのだけど、お会いした時どうなんですか?って聞いてみたら、
「バカヤロー、お前頑固だから引き留めてもダメだと思ったから引き留めなかっただけだ!」
って言われた。
横浜に住み始めて30年超、いまや浜っこの一員となり、多分横浜で次の世代へバトンタッチすることになるだろうなって思っています。
へなちょこ社長の記憶に残る日用雑貨業界のトピックス
【ユニ・チャーム時代の日用雑貨業界について】
①生理用は女性のある一定期間がマーケット(当時は3000億くらいと言われていた)
②子供用オムツは新生児3歳くらいまでがマーケット(当時は2000億くらいと言われていた)
③業界全体で早くからトータルコストダウンを推進⇒システムは共同で、競争は店頭で
④GMS、SM、コンビニエンス等新しいタイプの小売業が台頭発展変化。
⑤戦後の物の時代から、物があふれる時代に⇒マーケット拡大から飽和マーケットに
⑥TVを中心とするマスマーケティングの興盛⇒新発売=TVCMが必須
⑦小売業の勢力分布が変化⇒チェーン店中心!!棚割りで場所を確保しなければ店頭に並ばない時代
⑧小売業の勢力分布の変化⇒小売店、薬局薬店からチェーン店中心へ変化
⑨メーカーの寡占化⇒生理用品300社から3社へ寡占化、オムツも3社寡占時代へ
⑩飽和マーケット到来で商品のリニュアルは半年~1年サイクルに
⑪飽和マーケットの早期到来で早期に海外進出(花王、資生堂、ライオン、ユニ・チャーム等)
⑫花王はメーカー直販体制(花王の代理店を販社に統合)
⑬日用雑貨代理店の寡占化、M&Aによる全国チェーン化、代理店数の激減
⑭小売業の勢力分布の変化 SM⇒GMS⇒CVS(フランチャイズチェーン)、小売店の激減
⑮定価販売からオープン価格へ(再販商品なんてのもあった)
⑯今やCVSも多様化の時代⇒地域密着、地域同化、情報ステーション、住民安全ステーション⇒地域のインフラへ
⑰スーパー、CVSも寡占化
⑲プラネットという共同VANは日用雑貨業界8社が作ったEDI(共同ゲートウエイの進化版)
⑳統一伝票、仕入れ、請求などの早期にコンプピューターによるシステム化(メーカー⇒代理店⇒小売トータルコストダウンのぺーパレス化)
*詳細は別ページで・・・・
ユニ・チャーム時代経験した事
ユニ・チャーム時代、高原会長は勉強好きな方でマーケティングの勉強はいやっていうくらいさせられた。もともと工学部出身だったので、珍しい学問だったので面倒だけど面白くはあった。
海外研修にもよく行かさせてもらった。ユニ・チャームって会社は実はマーケッティングカンパニーなんです。
トヨタ生産方式(看板方式と言われている)もコンサルタントが入り生産、物量、販売に至るまで徹底的に叩き込まれた。コンサルタントが社長や役員を発表会で罵倒する姿は新鮮だった。この思想が今のPIAのバックボーンになっています。
なんせ、ユニ・チャームの在庫が160万ケースあったのが、短期間で代理店在庫、物流中の在庫まで含めて30万ケースまで下がった。ユニ・チャームの生産性、高収益体質はこの時点から磨きがかかったと思う。
【トヨタの生産方式で習ったこと】
会社は無限
資源は有限
目で見る管理
トータルコストダウン
日当たり、月当たり管理、45度線管理
平準化
企画と特売
自働化
月末ドン
多能工化
タイムシェアリングオペレーション
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%96%B9%E5%BC%8F
へなちょこ社長が退社した後に、稲盛さん主催のアメーバ経営も導入されたと聞いています。常に進化する勉強好きの面白い良い会社だなと思う。
【ユニ・チャームで経験した業界の変遷】
①高度成長時代の物の売れ方、業界の変化
②少子化によるマーケット縮小による販売方法、業界の変化
③小売業の再編、変遷
④代理店の再編、変遷
⑤メーカー戦略の違いによるメーカーの変遷
⑥ユニ・チャーム社員たちの生きざまと変遷
⑦ヒット商品、廃版商品にる企業の変遷
日曜雑貨業界のまとめ
日用雑貨業界のへなちょこ社長流のまとめとしては
①小売業に牽引された業界変遷(再編、変化スピードが異常に早かった)
②システムは協働で競争は店頭でが徹底された業界
③商品改良によるお客様志向の業界(半年ごとに商品改良)
④変化の激しい業界
⑤マーケティング先進業界(計画実行をPOSデータ、ニールセンで検証)
に集約されるかなと思う。
保険の業界は、変化をけん引する企業がいないかいから変化スピードが遅いんだなと思う。でも、少子高齢化、AIの進化にいやおうなく業界周辺が急変する。
その変化を先取りするか?
受け身で変化してから対応するか?
で企業の盛衰が決まる。今そういう局面だという事がよくわかる。
世の中が急変しているんだと・・・・
こんなの書きだしたらきりがないな~~(^-^;
高田純次曰く、
昔話はするな
自慢話はするな
説教はするな
と名言だなって思っているが、あと5回辛抱してお付き合いください。
明日か明後日は、小売店の変遷についてひも解いてみよう。思い付きではなく、こういう考えた記事を毎日書くのってすっごく大変(^-^;
ちょいとスローダウンだ!!
じゃね(^_-)-☆
by 生き抜く へなちょこ社長
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by鈴木洋二
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