子供の日=端午の節句、鯉のぼりに五月人形、冑に柏餅にちまき!!あれ?食い物の方が多いな!
子供の日って男の子のお祭りだよね!3月3日はひな祭りで女事の祭りだしね。団地住まいの人が増えて、鯉のぼりや冑の置物もコンパクトなものが流行りのようだし、それしか置けないよね!一戸建てに住んでいても都会じゃ近所と接近しすぎているから、昔のように竿を立ててでっかい鯉のぼりを泳がすなんてことができなくなってしまった。
2,3年前に孫に冑の置物を買うために人形町の方へ見に行ったけど、でっかいのも置いてあったが、最近はコンパクトな方が流行りなんですよって言われた。と言っても結構な値段なんだけど、団地サイズで十分だよね。しまうところにも弱っちゃう。
子供の日の由来は?ググってみた・・・・
子供の日の由来
こどもの日(こどものひ)とは、日本における国民の祝日の一つ。日付は5月5日である。端午の節句とも言われる。
祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨である。1948年に制定。
母に感謝するってのもあるんだね!知らなかった!
鯉のぼりの由来は?
端午の節句は、奈良時代から行われている古い行事です。
端午というのは、五月の初めの午(うま)の日という意味です。それがいつのまにか五月五日に固定されてしまいまし た。
奈良・平安時代の端午の日は、災厄を避けるための行事が行われる重要な日でした。 宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉の薬玉を柱に下げたりしました。 鎌倉時代には、武家の間から菖蒲と尚武をかけてこの日を大切にする気風が生れました。 江戸時代には、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は江戸城に出仕し将軍にお祝を述べました。 将軍に世継が生れると、城中にたくさんの幟や作り物の遣り、長刀、兜などを立てて盛大にこれを祝いました。
江戸中期になると庶民の間から町民のアイデアで鯉のぼりが生れました。中国に古くから伝わる登竜門の伝説になぞらえ、 竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込めたものです。ま た、「わが家に男の子が生まれました。どうぞお守りください。」と天の神様に伝え、守っていただく意味があるとも伝えら れています。
この頃は和紙に鯉の絵を描いたものでしたが、大正時代に破れない綿の鯉のぼりが生まれ、 昭和三十年代の半ばには雨にぬれても色落のしない合成繊維の鯉のぼりが誕生し、現在に受継がれています。
へ~~端午の節句や鯉のぼりってれきしがあるんだな~~!奈良時代からなんだ!びっくりするね。
冑の由来は?
武家社会の風習が庶民の間に広がるきっかけはその「真似」がほとんどです。端午の節句も類にもれずその通りで、江戸時代の庶民達が、武家社会の風習をまねて家の前に棚を作り、鎧・兜(作り物)や槍、幟などを飾った事がはじまりです。
この時に、神様が降りてくる目印になるようにと兜の頂の部分に、勇ましい人形の細工物を乗せたのです。
その後、兜から人形が独立して飾られるようになりました。これが、五月人形の始まりといわれています。神様の依代(よりしろ)としての人形細工と当時の庶民の間に広まっていた人形(ひとがた)信仰があいまって、端午の節句は、町民達の間でも盛んに行われるようになり、定着していきました。
柏餅の由来は?
上新粉で作ったお餅で餡をくるみ柏の葉で包んだ柏餅は、日本独特のお菓子です。柏の葉で包んだお餅は、古くからあったようです。
ただ、柏餅というお菓子が生まれ端午の節句の食べ物として定着したのは江戸時代(徳川九代将軍~十代将軍の頃)と言われています。ところで、なぜ?柏の葉を使ったのでしょう。その理由は、柏の木の生態にありました。柏の木の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちません。このことが「子供が生まれるまで親は死なない」という思いにつながり「家系が絶えない」「子孫繁栄」という縁起を担いだのです。
ちまきの由来は?
午の節句で思い出す食べものといえば、柏餅ですか?それもとも粽でしょうか?粽と答えた人は、もしかして関西出身ではありませんか?
平安時代に中国から端午の節句が伝来したとき、粽も一緒に伝えられ全国に広がっていきました。江戸時代に五節句のひとつとなった際、江戸では柏餅が定着し、上方は粽が伝承されました。今でも関東では柏餅、関西では粽が親しまれています。
粽は端午の節句のルーツとなるエピソードで、重要な役目を果たしています。
今からおよそ2300年前の中国に、屈原(くつげん)という詩人がおりました。屈原は国王の側近として仕え、その正義感と国を思う強さで人々から大変慕われていましたが、陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。その時の思いをうたった「離騒(りそう)」という長編叙事詩は中国文学の名作となりますが、国の行く末に失望した屈源は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまいました。
その日が5月5日。屈原の死を悲しんだ国民達は、川に沈んだ屈源が魚に食べられてしまわないよう、小船の上から太鼓を叩いて魚をおどしたり、供物を投げ入れて弔いました。
ところが、せっかく川に捧げた供物も、屈原のもとに届く前に悪い龍に盗まれてしまいます。そこで、龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉っぱで餅米を包み、邪気を払う五色の糸で縛ってから川へ流すようにしたところ、無事に屈原のもとへ届くようになったそうです。
こうして粽が誕生し、5月5日に粽を作って災いを除ける風習が端午の節句となりました。また、粽に結んだ赤・青・黄・白・黒の五色の糸は、子供が無事に育つようにとの魔よけの意味を込め、鯉のぼりの吹流しの色に反映されています。
現在粽に用いられているのは、茅(チガヤ)という木の葉ですが、笹やマコモなどの葉を用いることもあります。
一つ一つに由来や伝統があるんだね!何気なしに接していることも、こうやってひも解いてゆくと改めて日本の歴史の重みがよくわかる。世界で一番長く続いている国の伝統って代々引き継がれていくんだね!
日本っていいくにだね・・・改めて感心する。
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by鈴木洋二
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